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旭川家庭裁判所 平成元年(家ロ)39号 決定 1989年9月25日

債権者 丸山充子

債務者 久島徹

事件本人 久島真理子

主文

債務者は、債権者に対し、事件本人の引渡しをしないときは、この決定の告知を受けた日の翌日から14日を経過した日から事件本人の引渡しを完了するまで、1日につき金3万円の割合による金員を支払え。

理由

1  本件間接強制申立ての趣旨及び理由は、別紙のとおりである。

2  一件記録及び債務者審尋の結果によれば、次の事実が認められる。

昭和63年9月21日、債権者と債務者との間の夫婦関係調整調停事件(当庁昭和63年(家イ)第345号事件)の期日において、債権者と債務者は離婚し、上記事件本人の親権者及び監護者については審判により定める旨の調停が成立した。

債権者は、同日、当庁に親権者指定調停事件(当庁昭和63年(家イ)第346号事件)を申し立て、既に係属していた子の監護者の指定の審判事件(当庁昭和63年(家)第827号事件)が調停が付された子の監護者指定調停事件(当庁昭和63年(家イ)第292号事件)と併合されたが、同事件は調停不成立で終了し、親権者指定については審判事件(当庁昭和63年(家)第960号事件)に移行し、調停終了により再び手続が進行する上記子の監護者指定審判事件と併合のまま審理され、平成元年3月13日、「事件本人の親権者及び監護者をいずれも申立人と定める。相手方は申立人に対して事件本人を引き渡せ。」との審判〔参考1〕があった。

債務者はこれを不服として、同月23日札幌高等裁判所に抗告の申立てをしたが、同高等裁判所は、同年5月11日同抗告を棄却する決定〔参考2〕をし、同決定正本は同月16日債務者に送達され、上記審判は確定した。その後、債権者は債務者宅に赴くなどして、再三にわたり事件本人の引渡しを求めたが、債務者はこれを拒否している。

以上の事実が認められる。

3  ところで、債務者は、当裁判所の審尋の席において、事件本人の引渡しを拒否する理由について、債権者が平成元年3月21日債務者宅を訪れ、債務者の父親に対し事件本人を渡すよう要求し、その際、「夜中に来て、真理子を殺してでも連れて帰りたいと思ったことがある。」と言ったとし、このようなことを平気で言う債権者に事件本人を渡すことはできないとし、また、債権者が同年4月から6月にかけて何度か事件本人が通っている幼稚園に行き、事件本人の引渡しを要求したり、同幼稚園に引渡しを要求する電話をし、幼稚園に迷惑をかけたことを主張している。

しかしながら、債務者が主張する上記のような事実は、いずれも、上記確定審判を債務名義とする事件本人の引渡しの執行を妨げる事由とは言えず、債務者は親権者・監護者である債権者に対し、速やかに事件本人を引き渡す義務があることは明らかである。そして、事件本人は4歳になったばかりの幼児であり、その引渡しは速やかに実現する必要があるところ、債務者がこれを拒否している状況からして、もはや任意の方法による引渡しを期待することは困難な状況にあり、間接強制の方法により実現をはかる必要がある。

4  以上によれば、本件申立ては理由があるから、事件本人の引渡しに要すると思われる期間及び債務者の資力を考慮し、民事執行法172条1項により主文のとおり決定する。

(裁判官 端二三彦)

別紙

申立ての趣旨

債務者は債権者に対し、平成元年6月1日以降債権者の長女久島真理子(昭和60年8月18日生)を引渡すまで、1日につき金5万円の割合いによる金員を支払え。

との裁判を求める。

申立ての理由

1 債権者と債務者は、昭和63年9月21日旭川家庭裁判所において調停離婚し、かつ「事件本人の親権者及び監護者については審判によってこれを定める」旨の調停が成立した。

2 同家庭裁判所は、平成元年3月13日当庁昭和63年(家イ)第827号、第960号子の監護者の指定・親権者指定申立事件につき「事件本人の親権者及び監護者をいずれも債権者と定める。債務者は債権者に対して事件本人を引き渡せ。」との審判を下した。

3 債務者は、上記審判を不服として札幌高等裁判所に対し抗告申立てをなしたが、同高等裁判所は同年5月11日右抗告を棄却し上記審判は確定するに至った。札幌高等裁判所の右決定は、平成元年5月16日債務者に送達された。

4 上記審判確定後、債権者は債務者宅に赴き、再三に渡り真理子の引渡しを要求したが債務者は拒み続けている。反って、債務者及び債務者の両親は「裁判所が何といおうと絶対に真理子は渡さない。真理子を渡せば充子に殺されるからだ。」と債権者への憎悪をむき出しに、本年5月13日以降真理子を幼稚園にも通わせず長期欠席を続けさせている。

債務者は子どもの福祉の視点からではなく、離婚した妻への憎悪から真理子の引渡しを拒否し、真理子と債権者の接触をおそれて他所に認匿し、債権者に対して真理子の居所が分らない状況を続けさせているものである。

5 なお、債務者は市役所に勤務し相当の収入を得ている。同人は両親と同居し、両親が手広く農業を営んでいるため、食費住居費に全く金銭を費消しなくてもすむ非常に楽な生活状況にある。

一方、債権者は真理子の引渡しを得られないことによって、日夜眠れず食事ものどをとおらない程相当の精神的苦痛を受けているものである。

債務者は、債権者への憎悪と真理子への溺愛から真理子の引渡しを強く拒んでいる点からみて、執行の実行を確保するためにはその金銭は1日につき金5万円と定めるのが相当である。

6 よって、債権者は民事執行法第172条により、上記決定が債務者に送達された日から引渡しに要すると思料される相当期間(14日)を経過した翌日である平成元年6月1日以降引渡し完了まで金5万円宛の金員を支払えとの間接強制の決定を求めたく申立てに及ぶ次第である。

以上

〔参考1〕本案事件第一審(旭川家 昭63(家)827号、960号 平元.3.13審判)

主文

事件本人の親権者及び監護者をいずれも申立人と定める。

相手方は申立人に対して事件本人を引き渡せ。

理由

第1当事者双方の申立て及び主張

1 申立ての要旨及び実情

申立人は主文同旨の審判を求め、その実情として次のとおり述べた。

(1) 申立人と相手方とは、昭和59年4月2日に婚姻して北海道留萌市で生活し、昭和60年8月には長女である事件本人が生まれた。

(2) 事件本人出生後、申立人と相手方との間の夫婦関係は、嫁姑間の確執もあって、次第に円満を欠くようになり、昭和63年6月に相手方との感情的な紛争から申立人は事件本人を連れて札幌市の実家に戻った。

(3) ところが、相手方は、同月、申立人実家を訪れ、口実を設けて事件本人を連れ出して留萌市の相手方宅に連れ戻し、その後、申立人が事件本人との面接交渉を求めてもこれを拒否している。

(4) 申立人と相手方とは、その後、数回にわたって離婚について話し合いの機会を持ったが、双方が事件本人の親権を求めて譲らないことから、離婚の合意に至らなかった。

(5) しかしながら、申立人及び相手方の双方とも婚姻関係についてはこれを継続する意思がなかったことから、昭和63年9月21日、当裁判所の調停(当庁昭和63年(家イ)第345号事件)の期日において、申立人と相手方とは離婚し、事件本人の親権者及び監護者については審判によってこれを定める旨の調停が成立した。

(6) 事件本人は幼少の女児であって、現在、健全な心身の発達と人格形成に当たって最も重要な時期にあるものであり、母親の愛情に基礎を置く安定した母子関係の存在が不可欠である。

相手方が昼間勤務していることから、事件本人は、現在、相手方の父母によって育てられているが、相手方実家は農業を営んでおり、相手方父母も農作業に携わるため、事件本人に対する十分な監護養育は不可能な状況にある。

申立人は、事件本人を監護養育するについて、経済的能力をはじめとして申立人の父母の援助等、十分な環境条件と意欲を有している。よって、主文同旨の審判を求める。

2 相手方の主張

相手方は、「事件本人の親権者及び監護者をいずれも相手方と定める」との審判を求め、その実情として次のとおり述べた。

(1) 申立人と相手方の母との間には、いわゆる嫁姑の確執など存在しなかった。申立人が札幌市の実家に戻ったのは、ひとえに、申立人の閉鎖的な性格ないし精神的な欠陥によるものである。

(2) 申立人と相手方との別居後、事件本人を相手方において監護養育しているのは、申立人及びその両親との合意のうえで行っているものである。

(3) 申立人は、閉鎖的な性格ないし精神的な欠陥を有するもので、その影響から事件本人は従来笑いを忘れた子であった。また、申立人の不満足な育児方法により事件本人には偏食が見られた。これらの点からしても、申立人は、事件本人の親権者・監護者として不適当である。

(4) 相手方は留萌市役所に勤務しているが、現在父母と同居し、昼間、事件本人の監護養育には相手方の父母が当たっている。事件本人は、現在、相手方の父母の監護の下で、自然に親しみながら、心身共に健康に成長しており、その監護状況には何の問題もない。

(5) 相手方は、事件本人を監護養育するについて、経済的能力をはじめとして相手方父母による援助等、十分な環境条件と意欲を有しており、事件本人の親権者及び監護者としては、相手方を指定することが相当である。

第2当裁判所の判断

1 当裁判所の申立人、相手方、丸山道子及び久島マサエに対する各審問の結果並びに家庭裁判所調査官○○の調査報告書を含めた本件記録によれば、次の各事実が認められる。

(1) 申立人と相手方とは、昭和59年4月2日に婚姻届をした。

申立人は、昭和30年4月8日に、北海道阿寒郡○○町において、電話工事業を自営する丸山春男(昭和2年3月12日生)と雑貨店を自営する同道子(昭和6年3月20日生)の間の長女(3人きょうだいの第1子)として生まれ、地元の小中学校を卒業後、父親の仕事の都合により札幌市に転居し、昭和49年3月に○○高等学校を卒業し、○○高等看護学院に進学して昭和52年3月に同学院を卒業後は、相手方との結婚により退職するまで札幌市内の総合病院で看護婦として勤務していた(退職直前の収入は、月収約18万円であった)。相手方とは、親戚を通じての紹介により見合い結婚したものである。

相手方は、昭和24年1月3日に、北海道留萌市内において、農業を営む久島修三と同マサエとの間の長男として生まれ、地元の小中学校を卒業後、○○工業高等学校に進学し、昭和42年3月に同高校を卒業して、同年4月から○○市役所に勤務している。

(2) 申立人及び相手方は、結婚後、留萌市内において相手方実家の近隣(車で約5分の距離)にアパートの1室を借りて生活し、昭和60年8月13日に事件本人が生まれた。

申立人は、育った環境の違いから相手方及びその家族の生活習慣になじめず、疎外感を感じることが多く、相手方との間に感情の行き違いが生ずることも多かった。申立人は、気丈で性格の激しい面を持つ姑から気に入られず、姑から「性格が暗い」とか「鬱病ではないのか」などと言われ、事件本人の育児方法を巡って姑と意見が対立することもあった。

このようなことから、申立人は、相手方や姑となじめないことを深く心に悩んでいたものであるが、相手方は、申立人のこのような悩みを十分理解できず、嫁姑の確執についても、これを解決ないし回避するための配慮に乏しかった。

(3) 昭和63年5月に、申立人と姑との間に感情的な紛争が生じ、申立人は思い悩んだあげく、同年6月1日に、「夜は眠られず、食事も喉を通らず、身体がまいってしまいそうなので、実家に帰り、場合によってはしかるべき病院の診察を受ける」旨の置手紙を残して、事件本人を連れて、札幌市内の実家に戻った。

申立人は、日頃姑から鬱病ではないかと疑われていたことから、同月3日、○○病院精神神経科で受診したところ、異常は認められず、医師から「心身が疲れているので家で静養するように」と述べられただけであった(なお、申立人は精神的に健康である旨の内容の同年10月4日付の同病院の診断書が当裁判所に提出されている)。

申立人は、実家で事件本人と共に日を送るうち、相手方と離婚する気持ちが固まり、同年6月14日に札幌を訪れた相手方に対して離婚の意思を伝えたが、相手方はその場ではこれに同意しなかった。

(4) たまたま同月26日に相手方親族の結婚式が留萌市で行われることになっており、式においては事件本人が新郎新婦に花束を贈呈することが予定されていたことから、相手方は、同月19日に、札幌市の実家にいた申立人を訪れて、結婚式に出席させるため事件本人を一時的に留萌に連れて帰りたい旨を述べた。申立人としても、結婚式での花束贈呈は前々から予定されていたことでもあり、相手方の要請を断り切れず、事件本人を相手方に引き渡した。

その後、同年7月10日に申立人が相手方と札幌市内で会った際には、双方の間で離婚については合意されるも、双方が事件本人の親権を求めて譲らないことから、結局、双方の主張が対立したままで別れた。この際、相手方は、事件本人は自己の手許で養育し申立人には渡さない旨を述べた。

申立人は、相手方から事件本人を取り戻したいという気持ちを強く持っていたものの、事件本人の紛争の渦中に巻き込みたくないという思いから、相手方との交渉に望みを託していた。しかし、その後も、円満な交渉による事件本人の引き取りが実現する見通しが立たず、他方、事件本人は3歳で人格形成上安定した母子関係が最も必要とされる時期にあることから、当裁判所に子の監護者の指定の審判を申し立てた(昭和63年(家)第827号事件)。

上記審判事件は、調停に付された(当庁昭和63年(家イ)第292号事件)。

(5) 申立人及び相手方は、事件本人の監護養育については争うものの、婚姻関係については双方ともこれを継続する意思がなかったことから、昭和63年9月21日、同当事者間の当裁判所の離婚等調停事件(当庁昭和63年(家イ)第345号事件)の期日において、申立人と相手方とは相互に慰謝料・財産分与の支払いなく離婚し、事件本人の親権者及び監護者については審判によってこれを定める旨の調停が成立した。

申立人は、同日、当裁判所に親権者指定調停事件(当庁昭和63年(家イ)第346号事件)を申立て、同日、前記子の監護者指定調停事件(当庁昭和63年(家イ)第292号事件)と併合のうえ第1回期日が開かれたが、調停不成立で終了したことから、親権者指定については審判事件(昭和63年(家)第960号事件)に移行し、調停終了により再び手続が進行する子の監護者指定審判事件と併合のまま審理されることとなった。これが本件である。

(6) 申立人は、昭和63年8月に子の監護者の指定審判事件を申し立てた後は、事件本人を引き取り監護養育するための準備に専念している。

申立人は、事件本人の保育園等への送迎に役立てるために、同年11月10日に自動車運転免許を取得した。

また、申立人は、安定した経済状況を確立すべく、同年12月1日から札幌市○区所在の循環器科病院において再び看護婦として勤務するに至った。申立人の勤務状況については、朝は午前7時過ぎに自宅を出て通常は午後6時過ぎに帰宅するもので、夜勤は月に5回ないし6回である。申立人の収入は、基本給に諸手当(夜勤手当、時間外手当等。但し、通勤費を除く)を含めて月収28万0153円であり、所得税・社会保険料を控除した手取額は23万9888円となる。申立人には、心身に障害はなく、健康である。

申立人は、肩書住所地の実家において、父・丸山春男(62歳)、母・道子(57歳)及び母方祖母(81歳)と生活している。父は、○○株式会社(従業員7名)を経営しており、年収は約3900万円、諸経費を差し引くと実収入は月額約65万円である(負債はない)。父は、腎臓結石の診断を受けたこともあるが、手術の必要はなく、日常生活に支障はない。母は、専業主婦であり、以前手術を受けたことがあるが、現在は健康である。

申立人の実家の居宅は、昭和47年に建築した木造モルタル2階建住宅(宅地47坪。1階18畳、14畳、8畳、6畳の合計4室。2階8畳及び6畳3室の合計4室)である。住宅街に所在し、付近には、大規模公園、大型スーパー、総合病院、小中学校がある。保育園は徒歩5分のところにある。

(7) 相手方は、○○市の職員であり、現在、○○係長の職にある。仕事は、業者との打合せ、工事の監督が主な内容で、工事は夜問や休日に行われることが多いことから、時期によっては帰宅が遅くなることもある。相手方の健康状態は良好である。

相手方の収入は、昭和62年度においては、年間の給与賞与の合計支給額が545万6562円、所得税26万0700円、社会保険39万7287円で、差引手取り収入額は年間479万8575円であった(平均月額収入は、税込額で45万4713円、手取額で39万9881円となる)。

相手方は、肩書住所地の実家で、農業を営む父・久島修三(64歳)、母・マサエ(61歳)及び事件本人と共に生活している。父母は、従来は1町5反の畑を耗作していたが、そのうち1町を売却して、昭和63年春からは、5反の畑を耗作しているもので、農業による年間収入は純益約100万円である。また、父母は年金として月額6万5000円を受給している。母は、糖尿病を患っており、以前はインシュリン注射を受けていたが、最近は症状も軽快し、2か月に1度の割合で受診して投薬を受けるだけの治療で、体調は良い。父は、腰痛はあるものの、持病ではなく、農作業の疲れによるもので、5反の農地を耗作する余裕はある。

相手方の実家の居宅は、昭和47年4月建築の木造モルタル2階建住宅(1階10畳、8畳、6畳2室の合計4室。2階6畳2室、4畳半2室の合計4室)である。現在は、湧き水を浄化して使用しているが、上水道が工事中で、近日中に完成する予定である。

周囲の環境は、居宅の約15メートル前を国道232号線が走っており、後背は山に接し、畑に囲まれ、すぐ近くには大きな工場があるが、他の民家からはやや孤立した位置にある。国道の下に線路があり、その向こうの約500メートルの距離に、民家がある。街は、川向こうの、車で約15分の距離にある。医療機関としては、○○病院が車で15分の距離にあるほか、開業医もある。徒歩で約5分の距離に、○○保育所が、車で約15分の距離に、○○幼稚園がある。札幌市の申立人実家の生活環境と比較すれば、日常生活における買物等の便利さや、医療、教育等の社会環境としては、やや劣るものの、生活上の困難はない。

(8) 事件本人は、昭和60年8月13日に札幌市で出生し、申立人及び相手方の住む留萌市内の住居(アパート)で育った。

事件本人は、生後3か月から混合栄養で育ち、夜泣きもせず、ほとんど風邪をひくこともなく順調に成長した。1歳2月で歩行し、1歳6月で片言を話し、2歳できちんと話せるようになった。オムツが取れるのは遅く、申立人が養育していた昭和63年6月までは紙オムツを常時使用していたが、同年11月頃になってようやくオムツを使用しなくなった。

事件本人の食習慣については、従来、偏食であったとして、申立人及び相手方の双方は、その責任につき互いに非難し合っているが、昭和63年11月現在では、野菜を食し、健康に成育している。

事件本人は、申立人及び相手方と共に留萌市内のアパートで生活していたが、このアパートは相手方実家の近隣にあり、事件本人が相手方に連れられて相手方実家で相手方両親と共に日を過ごすことも多かった。また、昭和62年9月から昭和63年5月まで、申立人は看護学校の講師として週2回勤めていたが、講義の間は事件本人を相手方実家に預けていた。

事件本人は、申立人に連れられて札幌市の申立人実家を訪れたことも何回かあった。申立人が留萌市のアパートを出た昭和63年6月1日から同月19日までの間は、事件本人は、申立人及びその両親ら(事件本人の母方祖父母ら)と共に、札幌市の申立人実家で生活していた。

昭和63年6月19日からは、事件本人は、申立人と別れて、相手方及び相手方の両親(事件本人の父方祖父母)と共に、相手方肩書住所地所在の相手方実家において生活している。

事件本人の世話は、現在、主として相手方の母が行っている。農作業の季節には、事件本人は、自分から畑に出て、祖父母が農作業をしている間、畑で遊んでいる。事件本人は、朝は午前6時ころ起き、夜は午後7時過ぎになると皆を寝室に引き連れて寝る。オムツも取れ、野菜も食し、来客とも会話するなど、心身共に健全に成長しており、健康上の問題点は認められない。平成元年4月からは、事で約15分の距離にある、○○幼稚園に通うことになっている。

2 以上の認定事実を前提として、事件本人の親権者として、申立人と相手方とのどちらが相当かを判断する。

およそ親権者を父母のいずれに定めるかについては、その親権に服する子の福祉を中心として決定されるべきであって、この決定に当たっては、父母双方についての、子への愛情、監護に対する意欲、年齢、性格、健康状態、経済状況、居住環境、親族による援助の可能性等の事項、並びに、子についての、年齢、心身の状況、現在の生活への適応状況、新たな環境への適応可能性、子自身の意思、父母に対する思慕の程度等の事項を、総合して判断しなければならないというべきである。

これを本件についてみるに、まず、申立人及び相手方の双方とも、事件本人に対する愛情及びその監護に対する意欲が認められ、性格についても、双方とも問題はない。

経済状態については、双方とも安定した職業について相当額の収入を得ているものであって、この点については、双方に差異はない(なお、申立人においては、実家の経済状況に照らせば、父親からある程度の経済的援助を受けることも可能といえる)。

心身の状況については、申立人が一時期精神的に衰弱したこともあったようだが、現在は健康な状態にあり、申立人及び相手方の双方とも格別問題は認められない。申立人には、事件本人をこれまで毎日世話してきた実績があり、母親としての経験と、看護婦として専門教育を受けた知識経験により、幼児の養育には細やかな配慮が期待できる。

もっとも、申立人及び相手方の双方とも昼間は勤務していることから、実際の監護に当たっては双方ともその母親(事件本人の祖母)が監護の相当部分を担うことになる。この点では、どちらかといえば相手方の方が、事件本人の監護において祖母が占める地位が大きいものと認められる。

事件本人の監護の補助に当たる申立人及び相手方の各母親については、事件本人に対する愛情は双方劣らないものがある。双方とも高齢であることもあって、健康状態には何らかの問題をかかえているものの、現在のところ、双方とも、事件本人の監護には格別支障は認められない。

住居については、双方の実家とも、事件本人を引き取り養育するには十分な広さ・室数を備えているものであって、差異はない。

住宅の周囲の環境としては、相手方実家のある留萌市は札幌市と比較して自然に恵まれ、事件本人が慣れ親しんできた土地でもある。しかし、申立人実家においても、近接して大規模公園があり、また、札幌市の都市機能としての文化施設、医療施設等の完備や買物、交通等の便利さなどからすれば、事件本人の監護養育のための環境としては、申立人の住む札幌市の方がやや有利と思われる。

事件本人については、心身の成長状況には現在のところ格別問題は認められない。しかし、事件本人はようやく3歳7月に達したばかりの幼児であって、性格形成に当たって最も重要な時期にあるものと言える。幼児期の心身の発達に際しては、安定した母子関係が重要な要素として必要とされるものであり、この時期における母子分離は心身の発達に好ましくない影響を与えるものと言われている。また、事件本人は女子であり、今後の成長における課題として女性性の獲得という問題も指摘され、この点からも母親の必要性は少なくないと言える。

以上の各事情を総合するに、本件においては、申立人及び相手方の、いずれもが、健康であり、事件本人に対する十分な愛情を持ち、それぞれ職業を有して経済状態も相応に安定しており、監護養育の意欲のあることはもちろん、その性格や人柄にも何ら異とする点はなく、社会一般にみられる通常の家庭の親として、父であり、母である資格に欠けるところはないものであって、これらの点については双方の監護養育能力に格段の差異は認められない。

しかるに、未成年の子について言えば、その成育期に即応した監護養育に適した環境を整備することがその福祉のために重要というべきであるところ、事件本人は、昭和60年8月13日生のいまだ3歳になって間もない女児であって、この時期については、特段の事情のない限り、産みの母親によるこまやかな愛情が父親のそれにも増して必要なものというべきである。

申立人において、母親としての監護養育につき不適当な事情のないことは前述のとおりであって、事件本人を申立人のもとに置くときは母親の愛情と配慮の下での監護養育が可能と認められる。なるほど、申立人は、昼間看護婦としての勤務を有するもので月間数回の夜勤をも勤めるものであるが、それでも、申立人のもとで養育することは、監護養育の主要な部分が専ら事件本人の父方祖母により担われる相手方のもとに委ねるよりも、幼児の成育上の環境として優れているものということができる(なお、付言するに、申立人は、看護婦という専門職の資格を有するもので、看護婦に対する現在の社会的需要や申立人実家の余裕ある経済状況に照らせば、申立人においては、事件本人が母親自身との肉体的接触等を通じての監護を必要とする年齢期にはひとまず実家の経済的援助を受けて家庭において事件本人の監護養育に専念し、事件本人が学齢に達した後に改めて看護婦としての勤務を再開することも可能と思われる)。

もっとも、事件本人は、昭和63年6月19日から現在に至るまで相手方実家において平穏に成育している現状にあり、特に不都合とする点が認められないにもかかわらず、今にわかにその生活環境を変えることは、事件本人にとって好ましいことではない。しかし、このような現状維持の観点からの要請も決して絶対的なものではなく、本件にあっては、事件本人は既に何回か申立人に連れられて札幌市の申立人実家で過ごした経験を有するうえ、昭和63年6月1日から同月19日までの間は申立人実家で申立人及びその両親らと共に生活していたものであるから、申立人実家における監護養育は事件本人にとって全く新たな環境に移るものではなく、また、申立人及びその両親において事件本人引き取りのための物心両面での態勢を整えている点に徴すれば、環境の変更自体に多少の弊害が予想されるにしても、それは最少限度に止められるものと解される。これらの点に照らせば、現状維持の観点を考慮に入れてもなお、前記説示の事情の下においては、事件本人を申立人のもとに置くことがその福祉上相当というべきである。

以上の次第であるから、事件本人の親権者及び監護者をいずれも申立人と定め、相手方に対し事件本人を申立人に引き渡すことを命ずることとして、事件本人を申立人のもとにおいて監護養育させるのが、事件本人の福祉にかなうものと認められる。

よって、主文のとおり審判する。

〔参考2〕本案事件抗告審(札幌高 平元(ラ)12号、平元.5.11決定)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一 本件抗告の趣旨は、「原審判を取り消し、本件を旭川家庭裁判所に差し戻す。」との決定を求めるというにあり、抗告の趣旨に対する答弁は主文同旨の決定を求めるというのである。

本件抗告の理由の要旨は、

「1 事件本人は、乳児でなく既に三歳余に成育しており、十分な愛情を持つ父親よりも母親の方が必要であると一方的に決めつけられるものではない。

2 事件本人は、北海道留萌市において養育されていた頃は、健康な生活を営んでいたのに、相手方(原審申立人)とともに札幌市に赴いた後、目やにに悩まされ、風邪に冒されるなど健康を害するようになつたのに、再び抗告人とともに留萌市で暮らすようになつてからは目やにもなくなり、一度も風邪に冒されることなく、健全に成育している。

3 相手方(原審申立人)は、抗告人に離婚を求めて同意を得たが、その際、「事件本人は留萌で育てた方が幸せだ。」「将来母親がいないわけを聞かれたら、母が死んだと言わないで元気で働いているようにお母さんに伝えて欲しい。」と述べるなどし、離婚後の事件本人の親権者、監護者について事実上合意が成立した。

4 幼時の育成には、経済環境、愛情その他人的環境のほかに自然環境に恵まれることが望ましいが、その観点からすると、札幌市の住宅密集地域よりも留萌市の郊外地の方がはるかに恵まれている。」というにある。

二 当裁判所も、事件本人の親権者及び監護者をいずれも相手方(原審申立人)と定め、抗告人に対し相手方(原審申立人)に事件本人を引き渡すことを命ずるのが相当であると判断するが、その理由は、次に記載するほか原審判の理由説示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原審判3枚目裏5行目の「約18万円」を「手取約17万円」に、同4枚目表7行目から8行目にかけての「紛争が生じ、申立人は思い悩んだあげく、」を「紛争が生じ、姑が早暁4時ころ相手方(原審申立人)の実家に架電して相手方(原審申立人)の母を留萌まで呼び出した上、相手方(原審申立人)を非難する言を浴びせる事態に立ち至つた。その間、抗告人は相手方(原審申立人)に対して『お前のつとめ方が足りなかつたからだ。心をいれかえておふくろに謝れ。』などと述べるのみであつたので、相手方(原審申立人)は、夫婦間に気持ちの交流がないことを改めて知らされて、心身ともに調子を崩し、食事も睡眠も十分に取れない状態に陥つた。更に、抗告人に相談した際に、抗告人から『病気だからみてもらえ。』と言つて聞く耳を持たぬとの態度を示されたことから、相手方(原審申立人)は抗告人との結婚生活の前途に希望を失つて離婚を決意し、」にそれぞれ改め、同裏1行目の「実家で」から同2行目の「固まり、」までを削り、同5枚目表11行目の「離婚等調停事件」を「夫婦関係調整調停事件」に、同7枚目表2行目の「湧き水を浄化して」を「井戸水を」にそれぞれ改める。)。

1 抗告理由1について

事件本人の親権者、監護者を相手方(原審申立人)と定めるのを相当と判断する理由は、前記引用に係る原審判理由説示(以下単に「理由説示」という。)のとおりであつて、相手方(原審申立人)が母親であることのみを考慮したものではなく、事件本人が3歳余の女児であることその他の諸般の事情をも総合考慮した結果であるから、抗告人の主張は採用の限りでない。

2 抗告理由2について

本件全資料によつても、事件本人が相手方(原審申立人)とともに札幌市で生活するようになつた後に健康を害した事実を認めるには足りず、抗告人の主張は前提を欠くというほかない。

3 抗告理由3について

相手方(原審申立人)と抗告人との間において離婚後の事件本人の親権者、監護者を抗告人と定めるとの合意が成立したとの抗告人の主張については、原審裁判所の抗告人に対する審問の結果等抗告人の供述中には、これに沿う部分があるが、その余の資料と対比して直ちに採用できず、他にこの主張事実を認めるに足りる資料はない。

4 抗告理由4について

幼児の育成に当たつて必要な環境には自然環境のみならず他の環境も総合考慮すべきことは当然であり、その点からして、札幌市の方が留萌市以上に有利であることは理由説示において詳細に述べられているとおりである。

三 そうすると、原審判は相当であつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり決定する。

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